学部長便り2017年12月号 松江と松山

公開日 2017年12月05日

 先月下旬,松山に行きました。愛媛大学法文学部が来年創立50周年を迎えるのを記念して企画された鹿児島大学,愛媛大学,島根大学(現在,法文学部があるのはこの3大学のみ)の学部長による座談会への出席のためです。夕方から学部長室で行われた公式の座談会では各法文学部の特色,課題,将来への抱負などについて意見交換を行い,その後の懇親会では学部運営や所属する先生方のこぼれ話,エピソードが披露され,学部を見直す良い機会となりました。

 ところで,松江と松山,同じ「松」という漢字を含んでいるだけでなく,似たところも幾つかあります。初代藩主は豊臣秀吉の家来であった堀尾吉晴,加藤嘉明で,それぞれ国宝,重要文化財に指定されている松江城,松山城を築くとともに町の基礎を造りました。その後,お家断絶や転封により藩主は変わり,1630年代には徳川家康の孫,甥にあたる松平直政,松平定行が城主となり,明治維新まで親藩として続いています。石高も松江藩18万石,松山藩16万石でほぼ同じです。

 明治時代には小泉八雲,夏目漱石という文豪によりその名前が知られますが,彼らとそれぞれの町との関わりがよく似ています。小泉八雲は18908月に松江に到着し,尋常中学校,師範学校の英語教師を務めますが,冬の寒さに辟易し,13ヶ月後の189111月には熊本の第五高等学校に移っています。一方,夏目漱石は18954月に松山の尋常中学校の英語教師になりますが,こちらは1年で同じく熊本の第五高等学校に移っています。

 このように2人がそれぞれの町に滞在した期間はごく短く,ともに熊本にも住んでいるにも係わらず,八雲と言えば松江,漱石と言えば松山が思い浮かび,熊本のイメージは余りありません。松江を含む出雲・山陰の言い伝えをまとめた「怪談」,教師体験をもとにした「坊ちゃん」が有名で(漱石には熊本を舞台にした「草枕」がありますが),その印象が強いのでしょうか。

 話は変わりますが,松江と松山,直線距離だと180km程なのですが,JRで行くと遠いこと。米子・岡山・瀬戸大橋とコの字型に迂回するので移動距離が約400kmに延びるのに加え,岡山駅の乗り換えが最悪です。行きは松江からの特急が到着する5分前に松山行きの特急が発車するので岡山駅で1時間待ち,帰りも松山からの列車到着数分前に松江行きが出発します。到着時間が正確と言うことで往路はJRを使いましたが,帰りは連絡のスムーズなバスで帰ってきました。

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