学部長便り2014年9月号 中庭の光琳

公開日 2014年09月08日

 秋の虫たちが鳴いております。九月になりました。
 それにしても今年の夏は、雨の多い夏でした。小雨のときに研究室で仕事をしていると、あたかも水琴窟のような玄妙な音が聞こえてきます。水琴窟ってご存知でしょうか。日本庭園で、手水鉢の水が流れるところに大きな瓶を伏せて埋めてあるもので、滴り落ちる水滴の音が地中の瓶の中で響いて神秘的な音色となって聞こえてくるという仕掛けです。
 なにゆえ私の研究室ごときで、そんな音が聞こえるのかと不思議に思っていたのですが、原因はサンシェードにありました。このサンシェードは昨年、中庭側の南向き研究室の外壁に設置されました(写真1)。アルミ製で、ブラインドの羽を大きくしたような形状です。どうやら、小雨で濡れた上階のサンシェードからの水滴が、下階の羽に当たって玄妙な響きを生むようです。(本降りになると、ガムラン音楽のように聞こえたりもします)

写真1







写真1
法文棟中庭の南向き壁面のサンシェード
(右半分は、窓ガラスに写った鏡像です) 

 
 今月は、このサンシェードがある法文棟中庭についてのお話です。
 学部長となり、研究室と学部事務室との往復も増えました。その際にはこの中庭を横切って歩くことになります。まずはそのとき目にする中庭の写真をお見せいたしましょう(写真2) 

写真2
写真2 法文棟の中庭


  真ん中に石畳の道があります。その周囲は土のように見えますが、実は雑草が生えないように特殊な処理がされた空っぽ感の強い地面です。左の木は楠、右は楓ですね。 

  私は、ここを歩くたびに、尾形光琳の紅白梅図屏風(写真3)を思い出さずにはいられません。皆さんは如何でしょうか? なんだか似ているでしょ。 

写真3
写真3 尾形光琳「紅白梅図屏風」(著作権切れ)


 屏風の金箔は空っぽな背景という感じがするのですが、雑草が生えない地面も同様の感じを醸しています。左右は逆ですが、片方の木の枝が垂れているところも似ている気がします。屏風の左の白梅は古木、右の紅梅は若い木ですが、中庭も楠は古木、楓は若い木という対比になっています。(最近、楠が弱ってきている気がするので心配です)
 光琳の絵で一番目を引くのは、中央の川の手前が異様に膨らんだ曲線ですが、中庭の道も手前で膨らんでいます。この膨らみは、下の全景の写真でわかるように、四阿風の休憩所があるためで、中庭の設計者が光琳を意識したわけではないと思うのですが。 

写真4

写真4 法文棟中庭の全景

 さて、ひとたび光琳の屏風を意識すると、中庭の石畳の道が川に見えてくるわけでして、「これは枯山水だな」などとも思ってしまうのです。水琴窟に枯山水、いいですね。

 さらに、光琳の紅白梅図屏風については、小林太市郎という美術史家のフロイト風の解釈もあるようで。それによると中央の川が女性を、左右の梅が男性を表しているとか。ちなみに、左の古木が光琳で、右は若い恋敵だそうです。よく見ると確かに、古木の垂れた枝が女性的な曲線の川を愛で、一方、若木は川に向かってその男性性を誇示しているようにも見えてくるではありませんか。
 光琳がそんなことを意図して描いたとも思えませんが、ひとたびこのような解釈を知ってしまうと、そうとしか見えなくなるのは面白いですね。

 そしてまた紅白梅図屏風は、クリムトの一連の作品をも想起させるのです。クリムトは琳派の影響を受けているとも言われていますので当然かもしれませんが、特にこの屏風図の川の曲線や波の表現は、その感が強いと思います。クリムトの絵のイメージが纏わりついていることも、光琳の屏風図にエロスを感じてしまう我々の目に影響しているのではないでしょうか。 

写真5








写真5
クリムト「水蛇」
(著作権切れ)

 そういえば、フロイトもクリムトも同時代のウィーンで活躍した人。あのあたり、時空間上の押さえどころですね。
 いずれにせよこの中庭、なかなかに艶めかしい想念を引き起こし、おちおちと歩いているわけにはいかないのです。 

 さてさて、まとめに入りましょう。我々の21世紀の目玉は、100年少々前のクリムトやフロイトのフィルターを通して、更に200年ほど前の光琳の絵を見たりします。また、なんでもない中庭が様々なイメージを展開させ、艶めかしく見えてきたりします。
 我々の目を豊かにしてくれる先人の存在とは、本当に有り難いものだと思う次第であります。
 そしてまた、これまでこんな妄想を抱かずに中庭を歩いていた方が、こんなどうでもいい文章を読んで見え方が変わってしまうことがあれば、それもまた一興だと思うのでした。

お問い合わせ

法文学部