学部長便り2014年11月号 芹沢博士を悼む

学部長便り2014年11月号 芹沢博士を悼む

2014年11月10日

 先月号では、スマホを池に落とした話を致しました。保険契約をしていたので、その後比較的安い料金で、替わりの機械を送ってもらうことができました。とはいえ、電話会社からは「警察に行って紛失証明書を出して貰え」と言われ、警察に行ったら案の定、「池の中にあることは明確なのだから紛失証明書は出せません」と言われ、でゴタゴタしたのですが。
 それはさておき、少しは慣れたので、スマホに最初から付いていたARエフェクトというアプリで遊んでみました。これは、写真を撮るときに、恐竜が歩いていたり、茸の森で小びとが遊んでいたりの効果が映り込むというものです。その中の、「ダイビング」という効果を使って芹沢博士の真似をしてみました。
 芹沢博士、ご存知ですか。ゴジラの第一作に出てくるオキシジェン・デストロイヤーを発明した科学者です。ということで、今回はゴジラの話をしてみましょう。真面目な話ですよ。

写真1

眼帯、潜水服、オキシジェン・デストロイヤー
(ヘルメットと魚はARエフェクト)

 初代ゴジラが誕生したのが1954年、終戦からまだ9年しか経っていません。再び火の海と化した東京。逃げ道を失った母親が抱きしめる子供達に「お父さんのところへ行くのよ」と言います。一番小さな子供は9歳ぐらいでしょうか。電車の中で「長崎で命拾いをした大事な体だもの」と言う女性も出てきます。当時の観客はどのような気持ちで、この映画を観たのでしょうか。
 ゴジラが背負っているものは、単なる水爆実験ではなく、戦争そのものだったと思います。為政者から見た戦争ではなく、東京大空襲・広島・長崎で焼き殺されていった庶民にとっての不条理きわまりない戦争です。

 ゴジラが一方の主人公であるのに対し、人間側で重要な存在なのは山根博士と芹沢博士の両博士です。山根博士の娘の恵美子さんや南海サルベージの尾形氏は、ストーリー展開上の役回りを演じていますが、人物としての厚みは両博士とは比べようもありません。
 となると第一作ゴジラは、戦争と学者の物語だと思えるのです(私は文系なので「科学者」とせず「学者」としました)。そして、それを単なる対立図式として描いていないところが、正に名作たる所以ではないでしょうか。このあたりのことを少し考えておきましょう。

 さて風貌とは異なり、マッドな学者はむしろ山根博士です。博士は、「なぜみんな、ゴジラを研究しようとせず、殺そうとするんだ」と言いますが、既に東京が一度ゴジラに襲われた後の発言ですのでかなりのものです。また、大戸島で放射能の危険も忘れて興奮しながら三葉虫を拾う姿も、研究のことしか考えていない「学者」らしい学者として描かれています。
 一方、オキシジェン・デストロイヤーをうっかり発明してしまった芹沢博士は、その危険性を十分に認識しつつ、なんとか社会に役立つものにできないかと努力しているのですから、まったくマッドではありません。
 その芹沢博士に、恵美子さんと尾形氏がゴジラを倒すためにオシジェン・デストロイヤーの使用を迫ります。それに対して、芹沢博士は答えます。
 「もしも一旦このオキシジェン・デストロイヤーを使ったら最後、世界の為政者たちが黙って見ているはずがないんだ。必ずこれを武器として使用するに決まっている。原爆対原爆、水爆対水爆、その上さらにこの恐怖の武器を加えることは、科学者としていや一個の人間として許すことはできない。そうだろ。」
 さらに公表しなければ大丈夫だと迫る尾形に、芹沢博士は言います。
 「人間というものは弱いものだよ、一切の書類を焼いたとしても俺の頭の中には残っている。俺が死なない限りどんなことで再び使用する立場に追い込まれないと誰が保証できる。」

 ゴジラ第一作は、とても静かで厳粛なクライマックスを迎えます。東京湾に浮かぶ艦船に登場人物が勢揃いしています。芹沢博士は潜水服を着て、手には筒状の透明な容器に入ったオキシジェン・デストロイヤーを持っています。
 艦上の山根博士は、座って何か考えています。きっとまだゴジラを殺すことに納得しきれていないのでしょう。芹沢博士が尾形氏と一緒に潜水すると主張するのを聞いて、山根博士は不安そうな素振りを見せます。このとき、山根博士は芹沢博士が死ぬつもりでいることを察したのでしょうか。確信は持てないまでも、その考えが山根博士の頭に浮かんだことは間違いないでしょう。
 全てが終わり、山根博士は「これが最後の一匹だったとは思えない、第二第三のゴジラがまた来るかもしれない」と語ります。

 1937年のゲルニカの無差別爆撃の残酷さを、世界は衝撃として受け止めたはずでした。しかし、数年後にはそれは当然のこととなってしまいます。重慶で、ドレスデンで、東京で、広島で、子供も老人も人間としてではなく単なる戦略目標として破壊されました。誰が誰を殺したのかを問うことさえ意味を失った、この不条理きわまりない20世紀の戦争こそが、1954年のゴジラが当時の観客の前で体現していたものです。
 芹沢博士のモデルは、原爆開発を指導した物理学者たちです。すなわち芹沢博士は第二のオッペンハイマーであったと言えるでしょう。芹沢もまた、ゴジラになり得たわけです。もし、死を選択しなければ。
 山根博士は芹沢博士の決意に気づき、その意味を理解しました。ここで深読みをすると、山根博士の「殺すことばかり考えずに、研究しないといけない」という主張は、決してマッドな主張ではなかったようにも思われます。すなわち、学者としてゴジラ=戦争の正体を見極める必要性を説いているようにも聞こえてくるのです。悪を単に悪として片付けたのでは、次の悪を防ぐことはできないのですから。

 20世紀の戦争は単に科学技術によって不条理な怪獣となったわけではありません。もっと広い社会的な要因が、戦争を禍々しい怪獣として産み育てたのです。ですから文系の学者も、芹沢博士の死を胸に刻みこまねばなりません。そして戦争の正体について語り続けなければならないと思うのです。
 今年は第一次世界大戦の開戦からちょうど100年に当たります。それは、国民という名で纏められた人々が消耗品のように死んでいく20世紀の戦争の始まりでした。それを可能にした社会の在りようについて、我々は考えねばなりません。そしてまた、無人機が人を殺していく21世紀の戦争についても語らねばならないと思うのです。

 戦後の日本の大学では、軍事への協力には抵抗感を覚えるというのが常識となっていました。しかし現在、その常識も薄れつつあります。そんな今だからこそ、芹沢博士にオマージュを捧げたいと思います。
 戦争で片眼を失った芹沢博士、そして終戦からまだ9年、核戦争の危機がリアルに感じられた昭和29年の観客たちは、平和ボケなどしていないのです。 

写真2

影絵を作ってみました(著作権に配慮して)

 

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