学部長便り2015年9月号 ファーティフ区猫家

学部長便り2015年9月号 ファーティフ区猫家

2015年11月4日

 どの国でも、多くの人は男か女かに分類されています。しかもその分類区分、つまり男か女かによって異なった行動を求められたりもします。その求められ方には、相補性があったり権力関係があったりと複雑な構造が潜んでいるのですが、その構造は社会によってさまざまです。

 そんなことの国際比較研究をしておりまして、研究打合せのためにトルコに行ってきました。

  

トルコ側研究者との打合せはうまくいったのですが、旅行としては多難続きで、そもそも出発の日の朝、左右の足に異なる靴を履いている有様。家に引き返す時間もなく、情けない気持ちになりました。ショックだったので、そのときの写真も撮ってあります。

 更に関空発の飛行機は24時間遅れとなり、帽子を置き忘れるわ、クレジットカードを失くすわ、飛行機に乗り遅れるわ、何だかんだと、マヌケぶりも発揮して大変でした。

 

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 さてそんなことはとにかく、トルコといえば猫の話もしないといけません。今回はイスタンブールの公園で下の写真のような小屋を見つけました。小屋の右横で猫がエサを食べていますね。左横には大量の肉が3つに分けて積まれています。

 

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 右側の写真をご覧ください。小屋の横には、Fatif Belediyesi Kedi Eviといった文字が書かれています。Fatif(征服者)とは、コンスタンティノープルを陥落させたメフメト2世の呼称ですが、ここではイスタンブールの行政区名として使われています。Belediyesiは「自治体」、Kediは「猫」、Eviは「家」の意。すなわちこの小屋は、ファーティフ自治体猫家、ファーティフ区役所が建てた猫ハウスだと思われます。

 ここに限らず猫たちは、街のあちらこちらで餌を貰い、自由に生きています。行政公認の街の猫たちです。

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もう一つ。下の写真をご覧ください。白いビニール袋がぶら下がっています。これはパンを買った人が、パンを買えない人のために、買ったパンの一部を入れてぶら下げている袋です。パンを買ったらその一部は貧しい人たちのために喜捨するという風習なのです。誰とも知らない人が自由に持って行けるように、ぶら下げておくのです。

 

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猫は飼い主など持たずに生きています。餌は公共の場におかれ、通りすがりの猫が自由に食べられます。困った人は誰でも自由に持っていけるように、パンが入った袋が吊るされています。

 猫にも人にも優しい社会だと思います。でも、思ったのはそれだけではありません。なんだかその上に大きな「天」とでもいったものが広がっている気がしました。

喜捨や施しは特定の人や猫にではなく、もっと開かれた世界に向けてご自由にお食べ下さいという形でなされているのです。この天の下、猫も人も施しへのお礼や負目はいりません。

日本のムラ的な相互扶助とは異なる何か、おそらくはイスラムの世界観に関係する何かへと思いは向かうのでした。

 

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