学部長便り2018年6月号  『地域とつながる人文学の挑戦』

公開日 2018年06月25日

 

 島根大学法文学部では、20044月、学部内に「山陰研究センター」という研究所を設置し、ここを拠点にして、地域再生・エネルギー問題・歴史・文学など、地域課題の研究を続けています。

 さて、ご存じの方も多いと思いますが、20156月、下村博文・文部科学大臣(当時)は、各国立大学長に向けて通知を出し、教員養成系と、人文社会系の学部・大学院について、「18歳人口の減少や人材需要」等を踏まえて、「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組む」ことを求めました。

 この通知は、「文系不要論」と受け取られ、早速同年夏から秋にかけて反論や批判が表明されました。国立大学法人十七大学人文系学部長会議(島根大学法文学部も所属)が反対の共同声明を出し、日本学術会議の幹事会も、このような廃止転換の要請には「大きな疑問がある」と批判しました。さらには経団連からも、産業界が求めているのは即戦力を有する人材ではないとし、文系の学問は必須であるとする意見が表明されました。またマスコミからも数々の批判が出されました。

 こうした反論・批判の影響力もあってか、その後この要請はトーンダウンしていったようです。ただし、このことがきっかけとなり、当の文系学部側も、しっかりとした根拠を示しながら自分たちの存在意義を言明していくことが求められるようになったと思います。

 かくして山陰研究センターでは、20177月、人文社会系学部の存在意義を「地域」との関わりという観点から考えるシンポジウムを開催し、その内容を元に、『地域とつながる人文学の挑戦――山陰の文学・歴史学・考古学研究から考える――』と題する本を刊行しました。以下その内容についてご紹介します。

 第1章(板垣貴志執筆)では、鳥取県伯耆町・矢田貝(やたがい)家での「住民参加型」古文書調査を取り上げています。地域に伝わる古文書を、研究者と地元住民が一緒に解読する取り組みです。住民のみなさんは、研究者の知らない地元の地名・人名・慣習などのことがわかるので、その知識と、研究者の知見とを合わせながら解読していくと、今から約90年前の人の動き、物の動きが実にありありと再現されてくるのです。

 第2章(野本瑠美執筆)は、島根県の出雲大社近くに江戸時代前期から続く手錢(てぜん)家の資料に関する取り組みの紹介です。江戸時代・大社の人々が、和歌・俳諧を熱心に学習し、自分でも創作しようと志し、そのために人的ネットワークを形成していたことが解明されました。いま地元大社町で実施している古典講座では、手錢家資料を題材にしながら、そうした江戸時代の文芸活動を住民のみなさんとともに追体験しようとしています。 

 私が執筆した第3章では、鳥取県琴浦町の河本家(江戸時代の大庄屋)のことを取り上げました。地元の保存会のみなさんが、同家の住宅(江戸時代前期建築、国指定重要文化財)をはじめとする文化遺産を守りながら、積極的に公開を進めています。我々大学の研究チームは、この活動と協働しつつ、同家に伝わる古典籍(江戸時代から明治初期にかけての和装の書物)約4800冊の調査研究を続けています。
 なお、コラム(昌子喜信執筆)では、河本家の古典籍を、島根大学のホームページを通じてデジタル画像によって公開する取り組みについて紹介しています。  

 第4章(会下和宏執筆)は、島根県の江の川流域が、先史時代以来の遺跡、文化財の宝庫であることを描き出し、この一帯を一つのミュージアムと捉えて、研究者と市民のみなさんが一緒に実地をめぐる活動を行ってきたことを述べています。

 第5章は、中国新聞社の林淳一郎記者が、2016年の連載記事「人文学の挑戦」について紹介しています。文学・哲学・歴史学といった人文学の意義を見つめ直すことをめざし、中国地方を中心に大学の研究者や、出版など人文学と関係の深い業に携わる人々に密着取材し、人文学による真理の探究、その発信活動を鮮明に描き出しています。

 以上、地域に入り込み、地元住民のみなさんと一緒に研究活動を行ってきたことを中心に紹介した上で、私たちが述べたかったのは以下のようなことです。

 ――地方の国立大学にとって地域貢献が必須と言われるようになって久しく、我々も努力してきた。まずは市民向けに公開講座を開き、研究してわかったことの一部を平易に説明して聞いてもらう、あるいは、例えば地元自治体に対して、人口減少など地域の直面する問題に関して知見を提供し助言を行うなど、いずれもそれ自体は大切なことではあるが、気付かぬうちに啓蒙的態度になってしまっていた、と同時に、地域貢献ということに関して、我々自身にも何となく「やらされている感」が漂ってしまっていたというのが、率直な反省である。いま必要なのは、研究と地域との関わりのあり方を改めて問い直すことであり、それはひいては、人文学(ここでは人文科学、社会科学)の存在意義を考える一つの端緒にもなり得るのではなかろうか。――

 人文科学、社会科学は、人間に即した学問です。従ってその大きな役割として、過去から現在に至る人間の営みの跡を掘り起こし、それを記録し、意味づけるということがあると思われます。とすれば、地域は、その生データが豊富に存在するフィールドであり、研究者はここに積極的に踏み込んでいくべきではないでしょうか。ローカルな素材を追究して普遍に到達する可能性は大いにあると考えます。

 人文社会科学は、人間の多様な営みを研究対象とします。空間的に大きく拡がり、時間的に何層にも重なる、その中から立ち上がって見えてくるものこそ、人間がこれからどう生きるかを考える際の礎となり得る、この観点からも、地域とつながる研究は大きな意味をもつはずです。

 人文社会科学が存続していくためには、“人文社会科学をする人”の裾野を、大学の外へと拡げていくことが必要です。まず、しっかりと専門を身につけた学生を世に送り出すこと。人文社会科学を修めたという自覚と能力を備えた人は、将来にわたって強力な理解者となります。また、市民の中に、自分で古文書を読める、社会現象に関するデータを解読できるなどの人が今以上に増え、市民と研究者とが同じ場に集い、議論を交わせるようでありたいと思います。そうした努力の一つ一つが、人文社会科学は人間が生きるために必要であるという認識の共有へと、実を結んでいくものと考えます。 

 この1冊に紹介した地域とつながる研究活動や、またそこから私たちが到達した現時点での見解について、多様なご意見をいただくことによって、今後もこの問題について考え続けていくための第一歩となることを願っています。

              

『地域とつながる人文学の挑戦――山陰の文学・歴史学・考古学研究から考える――』
人文学の存在意義・可能性について、地域との関わりという観点から考察した山陰研究ブックレットシリーズ第7弾。
20183
今井出版
定価:926+
【目次】
1章 矢田貝家文書を活用した実践的な日本近現代史研究―住民参加型調査の可能性―(板垣貴志)
2章 手錢家所蔵資料の研究と古典講座(野本瑠美)
3章 河本家の古典籍研究と公開―地域で共有し活かす取り組み―(田中則雄)
コラム デジタル化の実践紹介―山陰地域の史資料のデジタル化と公開―(昌子喜信)
4章 島根県中山間地域における文化財とミュージアム活動―江の川流域を中心にして―(会下和宏)
5章 地域からひらく、地域へひらく―連載「人文学の挑戦」取材を通して―(林淳一郎)

 


 
 

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