島根大学法文学部社会文化学科学生によるフィールドワーク(地誌学Ⅱ)成果発表会を開催しました(7月9日)

公開日 2022年07月19日

 2022年7月9日(土)に法文学部棟多目的室1で、「島根大学法文学部社会文化学科学生によるフィールドワーク(地誌学Ⅱ)成果発表会-松江市浜乃木善光寺の硫黄島戦没者供養塔について-」を開催しました。
 この成果発表会は、2021年度後期開講の学部専門教育科目「地誌学Ⅱ」の受講生のうち3名(地理学2名、西洋史1名)が、授業のなかで、戦前の硫黄島の産業、太平洋戦争での硫黄島の戦い、戦没者の遺骨収集作業について学んだ際に、松江市浜乃木の善光寺に、1952年島根県内の硫黄島戦没者の供養塔が建立され、毎年4月には慰霊祭が行われていたことについて興味をもったので、硫黄島戦没者供養塔や、善光寺で管理している供養塔の関連史料、当時の新聞、戦没者の遺族への聞き取り調査などを通して、当時の戦争の状況や供養塔建立の経緯、そして遺族・生還者らの思いを、地理学、歴史学の研究手法で明らかとして、さらには戦争の事実を風化させず、後世に伝えることを目的として実施したものです(指導・助言:社会文化学科舩杉力修准教授)。当日の本学の学生のほか、戦没者の遺族(松江、出雲、隠岐)、善光寺住職、行政関係者、一般市民など約30名が参加しました。なお、善光寺の硫黄島戦没者供養塔は、全国的にも珍しく、他地域では、1972年建立の東京の高尾山に見られるぐらいで、善光寺の方が建立された時代が古いとみられます。
 発表では、調査の成果として、(1)硫黄島へ出征した島根県出身者は市町村の規模に応じて召集され、地域的な偏りは見られない。(2)平和観音開眼供養および供養塔建立のための寄付は出征者が多かった地域だけでなく、島根県全域にわたっている。(3)寄付をしたのは発起人や遺族だけでなく、当時の島根県選出の国会議員や大臣、松江市長、生還者、地元自治体、地元企業など多岐にわたる。(4)供養塔や生還者に関する報道は地元紙の島根新聞、山陰新報(現在の山陰中央新報)を中心に盛んに報道されていた。(5)硫黄島の戦没者遺族、生還者遺族の関心は世代を経るごとに低くなっていることが多く、風化を防ぎ、記憶の継承に結びつける対策が必要であることなどが発表されました。
 さらに、今後に向けて、(1)戦没者遺族、生還者の遺族を中心に、硫黄島協会島根県支部の再結成。善光寺での毎年4月17日の慰霊祭の復活、継続。(2)供養塔関係資料の整理、保管、管理、(3)(1)および(2)に対する行政機関の支援、報道機関・記憶の継承者による市民への継続的な喚起、またそれに伴う新たな記憶の継承者の獲得(特に市内、県内での小中高の教育への活用)などが提案されました。
 隠岐の戦没者の遺族の方からは、「研究発表を聞かせて頂き、大変感動しております。硫黄島で散った無念の命に思いをはせますと、胸が痛みます。ひるがえってロシアによる、力による無謀な侵略による大量殺人を強く非難します。戦争は絶対してはいけないと思っています。先生、学生さん、ありがとうございました。ぜひ硫黄島に行きたいと思っております。」、「今日はどうもありがとうございました。大変な資料を作って頂きありがとうございます。ぜひ戦争のない世の中ができればなと思っております。硫黄島にも1回行ってみたいと思います。それからこの間松江での聞き取り調査の後、家族に今回の話をして、それから1週間ぐらいたった後、娘が孫を連れて、松江の善光寺へ参拝に行きました。これからは一緒に行きたいと思っています。今日はどうもありがとうございました。」とお話頂きました。

 

 

 

 参加した学生からは、次のような意見が出ました。今回の学生による発表会は有意義な機会となりました。また、松江、出雲、大田など関係者の方から、情報提供頂いておりますので、今後も時間の許す限り、調査を続けていく予定です。
・今回の発表会をきっかけとして、硫黄島の戦いおよびこれに関する歴史をさらに勉強しようと思った。資料で載せた戦争による犠牲者の数がただの冷たい数字に見えるが、どんな意味を捉えるべきかわからなかった。今回の発表を通じて、戦死した兵士の写真を見て、経歴などをわかることで、彼らも我々と同じく人間であり、人間としてこの世で生きていたことがやっと実感し、戦争の残酷さも理解した。また、供養塔といった戦死した兵士を記念する施設の存在が歴史への尊重とも言え、もちろん重要だが、時間を経ってば経つほど、人々は犠牲者への思いも薄くなってしまい、これを考えると、すごく悲しいと思った。
・今回、初めてこういった会に参加したが、遺族の方の「戦争があると一般家庭が崩れていく」といった証言の様に貴重なお話を聞くことができ、よい経験となった。
・硫黄島については、映画作品や他の授業で既に知っていたつもりだった。しかし、島根県出身の兵士たちがいることや戦没者供養塔があることも知らず、今回の発表ではじめ知る事実が沢山あった。遺骨の推定場所を地図で見ることで、激戦区であった擂鉢山でない、玉名山や二段岩なども甚大な被害を受けていることを空間的に把握でき、改めて硫黄島の戦いの厳しさを見ることが出来た。また、遺族として今回の発表会に参加しておられる方や調査の協力をしてくださっている年配の方を見て、自分たちが戦争を風化した記憶として捉えていることを痛感した。今回の調査のように戦争を知らない世代が、より知ろうという気持ちを持ち活動することは必ず必要だと感じる。調査の過程では、目をそむけたくなる事実なども出てくると思う。しかし、事実を調べていくうえで新たに分かってくることもあると今回の調査発表で分かった良い機会だった。
・硫黄島について、島の形や成り立ち、位置情報、どうしてここが戦場になったのか、そういった情報が最初に詳しく説明されていて、以降の解説や戦没者供養塔についての発表がよりわかりやすくなっていた。硫黄島戦没者供養塔について、文書だけでなく新聞や聞き取り調査、新旧の地図を比較するといった多角的な方法で調査を行っていた。今回のフィールドワーク成果発表会は今後の自分自身に生かせる点が多くあり大変参考になった。
・島根県民として、僅か数世代前の人々が激戦地となった硫黄島に赴き玉砕したこと、彼らの遺族だけでなく政治家や経済人等からも、平和観音像や供養塔の建立のための寄付が多く集まったこと等は、自分達に無関係だからと目を逸らさず、戦争に関する事実を時代の風化から守るために一人一人できることがあるはずだと考えさせられた。
・今回の発表会を聞いて、まず島根県からたくさんの人が硫黄島に出兵していたことを知って驚いた。地図の分布を見ると戦没者も島根県内にまんべんなくいることが分かった。私は今まで硫黄島に行った島根県民がいることを全く知らなかったのだが、596 名もの人が硫黄島で命を落としたことが分かって他人事でないことを実感させられた。慰霊塔建立や平和観音開眼供養などの際の寄付金募集の話で、遺族や関係者だけでなく島根県内のいたるところ、また政治家なども寄附をしていたことからこの一連の供養が島根県民にとって重要視されていた企画であることが分かった。しかし島根県で育った私はそのことを全く知らず時代の流れを感じるとともに、我々世代が硫黄島戦没者のことを知り後世に伝えていくことの重要さを感じた。このまま島根県の硫黄島に関することを風化させず、学校教育の場で松江市の一部の学校と言わず県内のすべての小学校の平和学習等で、硫黄島における島根県民の戦没者について学ぶことで、時代を経ても戦争がただの歴史となることを防げるのではないかと思った。
 

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