学部長便り2011年12月号

公開日 2012年09月04日

年末号 「猫」と「レポート」

 

 この八月から、猫を飼い始めました。島根大学生の家で三匹の猫が生まれて、貰い手を捜していたので、うちで二匹を引き取ることにしたのです。黒猫と灰色猫の姉妹、つまりお嬢様達です。とても元気なお嬢様方で、日がな家の中を疾走したり、取っ組み合いをしたり、私に飛びかかったりと落ち着きがありません。お陰で体に生傷が絶えることなく、常時療養中の状態です。先々月も医大病院で人間ドックの検診を受けたのですが、医師から「ほとんどの値が正常値であるが、ひとつだけ異常な数値がある」と言われギョッとしました。体に傷がある時に高くなる数値らしく、医師が「体がいたくありませんか」と尋ねるので、私は猫に引っ掻かれたり噛まれたりしている事を告げましたが、一笑に付され取り合ってもらえず、結局原因不明という診断になりました。しかし思うのです、先生猫の傷を軽く見ちゃあいけませんよ、とね。

 私の研究対象である小説家にも猫好きが多く、谷崎潤一郎は飼い猫の死後、猫を剥製にして眺めていたようですし、三島由紀夫も書斎で猫と一緒にいる写真を撮らせています。しかし極めつけは、内田百閒(ひゃっけん)に他なりません。彼は夏目漱石門下生であり芥川龍之介の親友でもあるのですが、日本文学史上で最も怖い小説を発表し、他方とんでもなく面白いエッセイを書き続けた、稀代の変人作家であります。私は大好きです。彼は極貧でありながら多趣味な人物で、猫を飼うことにもはまりました。「ノラや」とか「クルやお前か」などという猫好きにはバイブルとされるエッセイを書き残しています。「ノラ」や「クル」を愛していたわけです。しかし百閒先生、六八歳の春、愛するノラが行方不明となってしまいます。八方捜索しても見つからず、眠れぬ日々を過ごした彼は、新聞に情報提供の折り込みチラシを入れることを思いつきます。これだけでも充分猫好きなのですが、彼の素晴らしさは、ここから発揮されます。彼はこう考えたのです。「もしノラを見つけた人が外国人だったらどうしようか」。心配でまた眠れなくなった彼は、ついに英語とドイツ語の折り込みチラシを作成したのです。

 きのうの深夜、学生にレポートを返却するため書き込み作業をしていました。猫達は、その赤ペンの動きに大層興味を持ったようで、近づいてじっと眺めたあげく、赤ペンにパンチを繰り出し始めました。「アホな事するな」と一喝すると、山積みされたレポートに体当たりしたり、山の中に潜り込んだり、レポートの上に寝そべってみたり、乱暴狼藉の振る舞いです。珍しく静かにしておるなと思って横を見ると、二匹でレポートの端っこをガチガチ噛んでいるではないですか。学生には内緒です。君たちに返すレポートは、猫が踏みつけ、猫の毛が付き、猫の唾液で濡れているのです。まあ、かわいいお嬢様達のいたずらだから許してくれたまえ。