学部長便り2012年6月号

公開日 2012年09月04日

6月に太宰治は死んだ

 先週、私のゼミの女子学生が東京都三鷹市にある太宰治の墓にお参りしてきました。そういえば、太宰治が死んだのは6月でした。正確に言えば、太宰治が関係のあった山崎富栄と玉川上水に入水したのが昭和23年の6月13日、遺体が発見されたのが19日の事でした。たまたま6月19日は太宰の誕生日でもあったので、その日を「桜桃忌」として、今でも太宰治を偲ぶ会が催されています。うちの学生は、これに合わせて行ったわけではなく、たまたま用事があったついでに三鷹まで足を伸ばしただけです。しかし、彼女は卒業研究に太宰治の「パンドラの匣」を選んでおり、一度太宰治のお墓に行ってみたいとも思っていたのでしょう。三鷹の禅林寺には、太宰の墓のすぐ近くに森鴎外の墓もあります。私が彼女に「鴎外のお墓もちゃんと見てきたか」と尋ねたところ「ちゃんとありました」との返事でした。

 私は文学を教えていますが、常々学生には、作家が大事なのではなく作品が大事なのであると語っています。作品があってこその作家なのであり、ひとつひとつの作品をまずじっくり見ることが研究の基本ですよ、という意味です。世の中には作品を語らずに作家を語る風潮があるので、私はよけいにうるさく言うのです。しかしそれは、作家のことを考えるなと言っているのでもありません。ある小説を好きになり、それを書いた作家に興味を持ったり、その人の事をもっと知りたいと思うようになるのは、ごく自然であると同時に重要な事でもあるからです。うちの学生の中には、卒業研究である小説を選択したことがきっかけで、社会人になってもその作家の小説を読んだり、その存在を気にかけ続けている人がたくさんいるようです。それはとても大切な事だと思うのです。

 昔、詩人の中原中也を卒業研究で取り上げた学生がいました。彼女は自分のアパートの室内に中原中也コーナーを作り、中也の写真を飾り、そこにゴールデンバットという煙草を供えていると語っていましたが、その時も、ふむふむいい話を聞いたぞと嬉しくなった事を覚えています。ゴールデンバットは「バット」の愛称で明治以来販売され続けている有名な煙草で、中原中也もバットの愛飲者だったのです。

 さて、三鷹に行ってきた学生は、私にお土産をくれました。太宰治鉛筆です。鉛筆には太宰の小説の言葉が彫られています。「恋と書いたら、あと、書けなくなった」。「斜陽」という小説の有名な一文です。また私の宝物が増えました。

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