公開日 2016年03月02日
確かに強烈に寒い日も一日かそこらありました。家の給湯器が凍りつき、風呂にも入れない日でした。とはいえ、どうにも雪が少ない冬です。下の写真は、そんな低温だか雪は少ない朝の風景。自転車も寒そうです。
このように雪が少ないので、今年の雪だるまは小さく作られています。左の写真は中庭にあった眼が可愛い雪だるまの横顔。右は図書館前です。こちらはまるで五百羅漢のように行き交う学生さんたちを見守っています。
さてさて、こんな冬の一日、今年も防災訓練が実施されました。島根大学自衛消防組織法文地区隊も出番です。
14時11分、構内一斉放送が流れます。「ただいま地震が発生しました。身の安全を確保してください。・・・・まだ揺れています。まだ揺れています。」
法文の事務室にも緊張が走ります。緊急時のためのヘルメットを被り、地区隊長の野津事務長から指示を受けます。
そこへ、西側階段下に学生が倒れているとの通報。心肺停止のようです。至急、高橋隊員は現場へ、須山隊員はAEDへと走ります。
現場に到着した高橋隊員、地震による倒壊等の恐れを見取り、冷静な判断で倒れている学生を安全な場所へと移動。
安全な場所に到着後、まずは学生の状態を確認します。やはり心肺蘇生の処置が必要そうです。須山隊員もAEDを持って駆けつけてきました。
須山隊員が人工呼吸と心臓マッサージを繰り返すなか、高橋隊員はAEDの準備を進めます。
手を触れぬようにして、AEDから電気ショック。
この処置で無事に蘇生。意識も取り戻しました。保健管理センターの応急救護班、そして消防署のレスキュー隊員も到着。須山隊員から、行った処置や学生の氏名等についての情報をレスキュー隊員に引き継ぎます。ちなみに、須山さんが咄嗟につけた学生の名前は、小山アンさんでした。無事でよかった、アンさん。高橋隊員と須山隊員の行動もキビキビと、とても頼もしかったです。
大学では毎年、このような防災訓練をしています。各学部それぞれ色々な事態が発生し、それに対処する訓練も含まれています。去年はたしかエレベータに学生さんが閉じ込められたという想定でした。
今年の心肺蘇生も、いざするとなると、とても難しいなと思いました。心肺蘇生法については、ローテーションで毎年数人の学部教職員が練習に参加しています。私も数年前に参加したのですが、数年たつと細かなことを忘れてしまっていることに改めて気がつきました。また参加しないといけませんね。
さて、今回の訓練でご活躍して下った高橋先生、須山さん。安齋先生を加えた3人でチームを組み、日本赤十字社島根県支部の救急法競技大会で、「心肺蘇生」「三角巾包帯法」の2部門優勝の腕前です。消防署からお借りした小山アンさんの方は、ニューヨーク生まれで本名はResusci Anneとか。蘇生(resuscitate)から来た名前のようです。
人間、いざというとき、なかなか素早く動けないものです。私も人生において、なぜあのとき、咄嗟に的確な行動がとれなかったのかと、未だに残念で堪らない経験を抱えています。
災害は訓練どおりには起こりません。しかし、訓練はきっと咄嗟のときに素早く動ける力を与えてくれることでしょう。
シミュレーションする能力は、おそらくヒトという動物を、他の生き物から際立たせている特徴だと思います。道具を作る能力もここから生じ、あるいは「私」という意識すなわち自我も、外からの目で自己をシミュレートすることによって生じてきたのではないでしょうか。
我々は、さまざまなことをシミュレートしながら、この世界と関わっています。そしてシミュレート体験は、脳内に回路を形成していくことでしょう。類似の状況に出会ったときの準備として考えるのなら、これらは「心がまえ」と呼んでも良いかもしれません。あるいはこの回路形成は身体化とも言えそうです。
防災訓練はシミュレーションです。この行事に参加、あるいは接することにより、我々は、「いや実際にはこうは行かないな」などと思いつつ、「ではどうなんだ」と派生的に様々なシミュレーションを行います。この過程で形成された小さな諸回路は、総体としていざというときに動きやすい「心がまえ」を準備してくれるのではないでしょうか。たとえ、現実が想定外のものであったとしても、この「心がまえ」は咄嗟に何とかしようという方向に働くはずです。
というわけで、改めて。
災害は訓練どおりには起こりません。しかし、訓練はきっと咄嗟のときに素早く動ける力を与えてくれることでしょう。
人間というのは、そのようなものだと思います。
★オマケ アンさんと語り合う、活躍しなかった学部長