学部長便り2018年10月号  山西師範大学訪問記(その2)

公開日 2018年11月01日

 

9月号に続き、中国・山西師範大学訪問のご報告です。

今度は、外国語学院での講演です。日本語学科約50名の学部生のみなさんに、日本の近世(江戸時代)の文学について、その一端をお話しすることにしました。
みなさん日本語がとてもよくできるので、通訳なしで、直接日本語で話し、楊媛さんには、必要なところだけ補助してもらうことにしました。

まず、江戸時代は鎖国政策が行われていたために、外国との交流は限定されたが、長く泰平の世が続いたことと相俟って、独自の文化が熟成したということを述べました。

ここでも人形浄瑠璃のことを取り上げましたが、特に、人形の三人遣い(一体の人形を三人で動かす方法)が1700年代の前半頃から行われ、これが現代にまで受け継がれていること、この方法によって、人形による表現力が大幅に広がったことを説明しました。このような独特の方法を考案し、時間をかけて改良し定着させていく、そういったあたりに日本の文化の一つの特徴があることを理解してもらえたと思います。みなさん感嘆の表情で聴いて下さいました。

もう一つ、鎖国下にあっても、中国とは交流が続いていたため、当時の日本の教養人たちは中国文化を受容し、それを十分に咀嚼したうえで、そこから独自の作品を作っていったということを、上田秋成の『雨月物語』を例に挙げてお話ししました。
中国の原話の作者が意図したことを理解したうえで、そこに新たな工夫を加えて、新たなメッセージを込めた作品に作り上げたことを説明しました。
ここは、楊さんが、原話の文章を中国語で朗読し、私が『雨月物語』の文章を読み上げるという、掛け合いの方式です。

少し手前味噌なことですが、学生のみなさんは、日本の近世文学にとても興味を持って下さったと思います。話が終わると、前に集まって来て、私に次々と質問をされます。楊さんには、日本への留学のことについて教えてほしいと……。反響の大きさに驚きつつ、本当に嬉しいことと感じました。

残りの日程で、山西省内の史跡へ案内いただきました。永楽宮では元代の壁画を間近に見ました。王家大院では、これが王家という一家族の屋敷ですと言われても、それは町というレベルの広大さではないか、と驚嘆しました。平遥古城には、清代の末、日本では江戸から明治初期にあたる頃の町並み、建物、人の生活がそのまま残っており、この時代に直接入り込んだ気がしました。

外国語学院の前に立てられていた、私の身長よりも高い、講演案内の看板!
今回の私の訪問のために、山西師範大学の先生方や職員のみなさんが、本当に熱心に準備して下さり、学生のみなさんとともに待ち受けて下さっていたことを知りました。

演劇を、小説を探究したい、その一点においては、国の違いなど関係ありません。学術を通じた国際交流とはこういうことなのだと、生意気ながら、心の底から感じた今回の訪問でした。

 
    外国語学院での講演        講演後、学生のみなさん、先生方と話が弾み、
                    気がつくと、日が暮れてしまっていました。

 
     講演案内の看板と私             永楽宮にて

 
平遥古城。清代の銀行、地下金庫室にて

     

 

 

 
 

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