学部長便り2019年2月号  松江藩・冬の風物詩

公開日 2019年02月26日

この冬は山陰でも暖かい日が多く、過ごしやすいように思われます。ただやはり日が暮れると寒さが厳しく、こういう時は暖かい料理が恋しくなります。

以前にも取り上げた、歴代の松江藩主とその周辺の人々の逸話を収めた実録『雲陽秘事記』から、一話をご紹介します。
藩主松平氏の初代直政のお話です。――ある時直政公は、鷹狩りに出かけ多くの鴨を得て城に帰り、「番士の者たちは寒中の勤め大変であろう。呼んで食べさせなさい」とおっしゃった。かくして番士たちは、長囲炉裏(ながいろり)の間という部屋で、鴨のお料理を頂戴することとなった。その時このようなことが起こりました。

太守御自身平皿に御盛りあそばされ候ところ、御燭台の影にてわからざりければ、ある人これを見損じ、太守の御背をたたき、「親父親父、鴨の身所をたくさんに盛りくれよ」と言ひければ、太守殊のほか御笑ひあそばされける。

殿様が手ずから盛り付けておられたのを、部屋が暗かったため、ある人がそうとは気付かず、背中をたたいて、「親父親父」と呼び掛け、鴨の身をたくさん入れておいてくれよと言ってしまったのです。普通なら空気が凍り付く場面ですね。しかしここは、殿様の大爆笑で終わったというのです。

粋に面白いことは面白いとて大いに笑うという、伸びやかで開放的な雰囲気が主従の間に漂っていたことを描き出しています。殿様が、鷹狩りから帰るや、番士たちの寒中の勤務を思いやり、暖かい鴨鍋を食べさせようと提案し、しかも手ずから盛り付けていたというところに、既にそれは表れています。

さてこの文章の終わりに、次のようなことが書かれています。

これより例格となり、毎年寒中には御番士の面々へ御料理下され来たりしとなり。後に治郷公の御代より御餅になるなり。

松江藩の人々は、これを恒例行事化したのでした。7代治郷(茶人不昧として著名な人)の時からは餅を使うようになりますが、後代まで守り伝えたのです。その都度きっと、直政公の逸話が語られたはずです。

冬にこそ美味しい料理は数々あります。そこには人の様々な思いがこめられていることもあると、改めて気付かされます。

  
     『雲陽秘事記』(法文学部山陰研究センター蔵)

 

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