学部長便り2019年4月号  新入学生を迎えて

公開日 2019年04月12日


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2日入学式が行われ、法文学部では202名の新入学生を迎えました。時折冷たい雨が降り、また日差しが見られるといった天候でしたが、それぞれ志を胸に新たなスタートを切りました。

午前中くにびきメッセで入学式、午後は大学へ移動して早速オリエンテーションです。私は歓迎の挨拶の中で、法文学部の“先祖”にあたる「旧制松江高等学校(松高)」のことを話しました。

松高は、1920(大正9)年の創設。すなわち来年でちょうど100周年を迎えます。この学校から、原爆の投下された長崎の町で、自らも負傷しながら救命医療活動に従事した永井隆博士。ロングセラーの雑誌「暮しの手帖」を編集刊行した花森安治氏をはじめ、多くの著名人が巣立っています。
その伝統は、終戦後の1949年、新しい学校制度のもとで、島根大学に受け継がれます。最初は文理学部、その後、法文学部と理学部に分かれます(理学部は後に総合理工学部へ改編)。

実は現在でも、島根大学の構内に松高のありし日の姿をしのばせる跡が残っています。まず正門の門柱。教養2号館のそばにある松高の学生寮「自習寮」の跡を示す碑。そして一旦大学を出て西へ約10分歩けば、洋風建築の住宅「奥谷宿舎」があります。ここは、松高の先生であった、ドイツ人のフリッツ・カルシュ博士が住んでいた官舎です。今は修築され、島根大学のサテライトミュージアムとして活用されています。

私はこの日新入学生のみなさんに、法文学部が、古くから山陰の地における学問の拠点であった松高の伝統を受け継ぐ学校であることを紹介したく思いました。

自由に学べる雰囲気、学生と教師との距離が近いこと、学生同士の仲がよいことなど、松高時代から続く特色だと思います、とも話しました。
今も附属図書館に、松高時代の図書が数多く伝わっています。その中に、武者小路実篤の小説の本に、その読解をめぐって、各々自分の意見を書き込み論争したものが残っています。現代ならSNSを使うところかもしれませんが、当時の学生たち、あまりに議論が白熱して、図書館の本に書き込みをしてしまったのですね。

「うまく馴染んでもらえたら、とても居心地のいい所になるはずです。ここで学業にしっかり打ち込んで下さい」と挨拶を締めくくりました。

去年もそうでしたが、やはり入学式の日の桜は、新たにここへ来た人たちを歓迎しているように思えてなりませんでした。

 

 

 旧制松江高等学校「自習寮址」の碑  入学式の日の桜。後ろは法文学部棟。

 

 

 

 

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