公開日 2019年09月30日
今年の夏は厳しい暑さが続きましたが、ようやく秋が深まってきました。
キャンパスにも学生たちが戻ってきて、後期の始まりを迎えようとしています。
秋になると思い出す、大好きな文章があります。
書いたのは、江戸時代末から明治初期の人で、出雲大社の国造(こくそう)を務め、歌人としても名を残した千家尊澄(せんげたかずみ、1810-1878)、「萩を」というタイトルの和文です。名誉教授の芦田耕一先生が『江戸時代の出雲歌壇』という本の中で紹介されていますので、参考にしながら、私なりの説明をしてみます。
最初にこうあります。
この里に中臣の何がしとて、みやび好めるをのこあり。
それがもとに夕つ方行きけるに、萩のいとをかしきを庭に植ゑて
心やれるなりけり。
この中臣氏とは、中臣正蔭(なかとみおおかげ)のことです。彼は、江戸時代末に大社で活躍した文人で、和歌、狂歌、俳諧といった文芸はもとより絵画もよくしたマルチプレーヤーでした。
千家尊澄がある夕方、彼の住居を訪ねてみると、庭に植えた美しい萩を愛でている最中でした。そして正蔭は次の歌を詠んだのでした。
我が宿の真萩花散る夕暮れに鹿の音(ね)近くなりまさるなり
現在も大社町近辺では鹿がよく現れると聞きますから、リアリティーがあります。自宅の庭に植えた萩が散るこの夕暮れ、鹿の鳴く声がますます近く聞こえてくることよ、と。
あるじは家にこそありけれ。よきをりにとて、例のものがたりして、
「ああ、主は家にいてくれたよ」とは、尊澄の喜びの気持ちです。昔は電話やメールがありませんから、せっかく訪ねたけれど留守だったなどということも度々あったのでしょう。主の正蔭は、「ちょうどいい時に来てくれましたね」と言って、いつものように語り合った。そして続いてこうしたと言います。
かの散りかふ枝をかざして、「君ならずして」とあるじの言へるは、
梅ならねど、折りに合ひてはをかしきものから、あはれになん。
正蔭ははらはらと散る萩の枝をかざして、尊澄に対して「君ならずして」と言い掛けた。それは梅ではないけれど、この折にぴったりで、心にしみ入ったと言っています。
これには少し説明が必要です。
「君ならずして」とは、『古今和歌集』に入っている紀友則の歌、
君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る
を踏まえています。正蔭はここで、梅の花を萩の花に転じて尊澄に呼び掛けた。
つまり、「あなたでなくて他の誰に見せましょう。今宵のこの萩の素晴らしさをわかる人はあなた以外ないのです」というわけです。
尊澄は、「あはれになん」というシンプルな言い方で止めていますが、この時の感動がどれほどのものであったか推測できます。
そもそも尊澄は、秋の深まったこの日の風流を、どうしても正蔭と共有したいと思って彼の宅を訪ねたのでしょう。すると彼はいたのです。しかも萩を愛で鹿の声に耳を澄ませながら。そして雅びな語らいの後、「君ならずして」と言いつつ萩を贈ってくれた。これは言葉で言い尽くせないほどの喜びだったと想像します。
深まる秋に心をやり、尊澄と正蔭の姿を思い描いているこの頃です。
私の家の庭に咲いた萩。台風や雨で少し散りましたが、
まだ可憐な花を咲かせています。
風流を解する文人の来訪を待っているかのように思えます。