学部長便り2020年1月号  江戸時代・津和野の貸本屋(2)

公開日 2020年01月27日

島根大学附属図書館の堀文庫についての話の続きです。 

 

この堀文庫の書籍は、江戸時代の終わり頃、津和野で営業していた「嘉年屋与兵衛(かねやよへえ)」「玉屋作兵衛(たまやさくべえ)」という2軒の貸本屋に由来するものでした。特に嘉年屋については、その蔵書印が書籍の中に押されているのが見つかります。江戸時代の貸本屋は一種の図書館であると申しましたが、その点で言うと、今の図書館のスタンプやラベルに相当します。その蔵書印に記された文言によると、嘉年屋は、貸本と同時に新本・古本の販売、それに香具の取り扱いもしていたようです。 

 

さてこれらの書籍を開いてみると、手垢でひどく汚れていたり破れていたりと、大変よく読まれたものであることがわかります。それと同時に、数々の落書きがされていることに一驚します。貸本屋の本に落書きが見つかるのは別に珍しいことではないのですが、堀文庫の場合は、その量が甚だ多いことと、その落書きの中身がこれから述べるような特徴を持っていることとで際立っています。 

 

もちろんご多分に漏れず単に行儀の悪い落書きもあります。しかし一方で、嘉年屋や玉屋を標的にした落書きが多々あることに気付かされます。 

 

本の白紙部分に、嘉年屋が自分の蔵書印を押したところ、その余白に大きく「貸本見料高直取」と墨書きした者がいました。嘉年屋は蔵書印によって「これはうちの本ですよ」と言ったわけですが、それに対して、「あんたの店は見料(レンタル料)が高すぎる」と切り返したわけです。

また玉屋に対して、「作兵衛殿、近頃者貸本之直段法過ニ高イ。少シ安キ善トス」、見料が高すぎる、少し下げなさいと、大きな文字、しかもなかなかの達筆で書いた者がいました。 

 

こんな落書きも――

「よの中に本かす者は大馬鹿よすれつやぶれつ末はもどさぬ」「ほんかすばかにもどす大馬鹿」 

 

こういう人たちに対して、貸本屋自身なのか、あるいは義憤に駆られた客の誰かが代弁して書いたのか、マナーを守りなさいよという返報の言葉も――

「問諸君等。此本へ落書仕給意見ヲ問。答ヘラレヨ」(この本に落書きするとは一体何を考えているのか!)

「この本をかりてけんれう(見料)わずかにらくがきする人のつらのにくさよ かねや」「此本をかりてもどさん物はにぎりこぶしで二三つ」。 

 

これらは双方とも憎しみを込めてやっていることではなさそうです。貸本屋の書籍に落書きは付き物ですが、ここまで人と人とのコミュニケーションをうかがわせるものは稀だろうと思います。 

 

一方でとても真面目な落書きもあります。『催馬楽奇談(さいばらきだん)』という長編小説の欄外に、墨でこう書き入れています。徳寿丸・三橘という2人の少年が登場しますが、彼らの年齢について、おかしな点があるといいます。

「此処にては徳寿丸七才とありけるが、此こと違ひ也。先に三橘と三月違ひに出生いたし候に、今此処にて三橘十才に成ければ、徳寿丸も十才に成て候へ共、七才とあるは相違相違。」

――この小説の最初の方には、徳寿丸・三橘の2人は3か月違いで出生したと書いてあった。しかるに、終末部に至ると2人が3歳違いのように書いてあるのは、作者の不注意であると。

これは、この2人の関係に注意しながら、長編小説を最後まで神経を尖らせて読んだ結果です。 

 

堀文庫の書籍の上には、町の人々の読書生活の痕跡がちりばめられています。無遠慮な落書きで応酬した同士、無言で本の貸し借りをしていたとは考えられません。江戸時代の読本・実録という、人の生き様や命運を描いた小説を前にして、客と客、あるいは店主も交えて、様々な会話が交わされたのでしょう。貸本屋という場を通じて、人々が読書の楽しみを共有し合うということがあったとすれば、それは地域の文化センターとしての役割を果たしていたと言ってよいように思います。

 

   

 嘉年屋の蔵書印と落書き「貸本見料高直取」   落書き「作兵衛殿、近頃者貸本之直段法過ニ高イ。

                            少シ安キ善トス」

   

 落書き「よの中に本かす者は大馬鹿よ      落書き「問諸君等。此本へ落書仕給意見ヲ問。

     すれつやぶれつ末はもどさぬ」         答ヘラレヨ」

 登場人物の年齢の齟齬を指摘した書き込み

 

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