学部長便り2020年2月号  江戸時代の文理融合―大森泰輔のこと―(その1)

公開日 2020年03月05日

近年、大学では文系・理系が一緒に研究教育を行う「文理融合」が必要だと声高に言われています。しかし、そもそもどのように融合させるのかという、中身の議論は置き去りにされているように感じます。江戸時代の出雲に大森泰輔という医師がいました。彼の生き方考え方は、この問題に示唆を与えてくれるように思います。

 

泰輔は、1771年、出雲国母里(もり)藩士の次男として生まれました。現在の島根県安来市伯太町です。60歳を過ぎた1833年、1834年の2度にわたり、紀州の華岡青洲の塾へ赴き、当時最先端の医術を学んで出雲へ帰りました。今で言えば、還暦を過ぎて医学部を志し医師になったという人ですから、それだけでも「すごい」のです。

その著作と蔵書は、島根大学附属図書館(出雲キャンパスの医学図書館)に大森文庫として保存されています。なお、泰輔の詳しい伝記は、大森文庫を長年研究されている梶谷光弘先生が「華岡青洲門人大森泰輔」(『華岡流医術の世界』2008年、ワン・ライン刊)に記されています。

 

さて泰輔は華岡流医術を学んで帰国しましたが、公的に就いた職は、母里藩の心学教訓でした。わかりやすく言ってしまえば道徳の先生です。

 

心学は、江戸時代の中頃、石田梅岩(いしだばいがん)が創始した、孝行、勤勉、倹約といった日常道徳の実践を勧める思想です。ただし同時に、個々人の内面の修養を重視します。自分で自分の心を磨いて、立派な人格に高めていく営みです。梅岩はこれを、中国宋代の朱子学にいう「性即理」の説に基づいて考案しました。

 

では、「性即理」の説とは? 少し理屈っぽい説明になります。――

自然界には数多くの「理」が存在している。ただしそれらの根源に、大元の「理」、純粋で最も高級な「理」がある。人は自然界からこの「理」を授かり、心の中に宿している。これを「性」と呼ぶ。だから、「性」は即ち「理」であると。

 

大森泰輔は、この「性即理」の説を特に重んじていました。『道話雑記』という著作の中でこのように述べています。

 

心は虚にして天なり。形はふさがつて地なり。

 

「心」は虚であって、大きさ、色、形態などを持たない。一方「形」(=身体)は「ふさがつて」いる、つまり物質が詰まっていて、大きさ、色、形態などがあるということ。それと同時に、心は「天」であり、身体はそれを載せて包み込む「地」であるということも述べています。

 

呼吸は陰陽なり。これを継ぐものは善なり。

人は一箇の小天地なり。我も一箇の天地と知らば、何に不足の有るべきや。

 

人は天地(自然界)の縮図だと言っています。ここで、医師である泰輔は、「呼吸」に注目します。人は呼吸によって、自然界のエッセンスを入れたり出したりしている。

このように、自然界と人間とはつながっている。ただし、自然界も人間も、その本質は「善」であるという点でつながっている。

 

ここで「善」という言葉が出てくるので少し驚きますが、これこそ「性即理」説です。「性」は人間の心の核の部分、これは即ち、自然界の「理」の核の部分と同じ。両方の核の部分は、いずれも善なる性質を持っている。

 

わかりやすくまとめれば、「自然はもともと善なる性質を持ち、これが人の心に宿る。だから、人の心はもともと善なるものである」ということです。

 

自然が善である、とは、少しわかりにくいですね。ここで一旦休憩して、続きは次回お話ししましょう。

 

私はかつて大森文庫の調査をした時、医学書のみならず、文学・思想・歴史など文科系の書物が多いことに気づきました。確かに、文理融合の気配がします。

 

           

                 大森泰輔自画像

 

      

                『青洲撮要方』
      泰輔は華岡塾で、師の著作をはじめ多くの医学書を書き写した。

   

      
               『心学金持伝授』
        泰輔は心学者としての著作活動も活発に行った。

 

 

所蔵:島根大学附属図書館大森文庫
島根大学附属図書館デジタルアーカイブによる(画像の一部を省略した)。

https://da.lib.shimane-u.ac.jp/content/ja/search?collection_name=%E5%A4%A7%E6%A3%AE%E6%96%87%E5%BA%AB

 

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